会主ご挨拶

はじめまして、武産合氣道会会主鈴木重行と申します。

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さて、私が合氣道を知ったのは19歳の時、たまたま長兄の買って来た数冊の本の中に合氣道入門という本があり、どんな本なのかと開いて見たところ、最初に目に飛び込んできたのが開祖植芝盛平翁という人の写真画像でした。それを見た途端、私がやるのはこれだと感じ、直ぐに道場に入門したいと思い、本部道場の住所を見ましたが、合氣道本部道場のある新宿には、私の住んでいた三郷市からは交通の便が悪く、とても通いきれません。故に本部入門は諦めて自宅から通える、なるべく近い道場を探す事にしました。そして本部に入門しなくても、同じ合氣道場であれば、いずれ開祖にも会える機会があるかも知れないと思っていました(しかし、このとき私がこの本の内容を少しでも読んでいれば、既に開祖は他界していたという事が分かったと思いますが、全く読まずに まして合氣道がどんな武道なのかも知らず、兎に角入門すればどんなものかが分かる。と言ったような考えでした。心の中は既に開祖の写真だけで入門する事を決めていましたし、まして開祖は、まだまだ元気に指導しているものと勝手に決め込んでいました。)
この本の末尾にあった道場紹介の欄を見て探す事にしました。そして家から通える道場をそこから探す事にして見ていたところ、本部直轄道場正勝道場と云う道場があり、それも私の住んでいた所から車で20分もかかりません。直ぐに入門する事にしました。この道場の道場主が初代会主鈴木利信師範でした。この時に入門書の受付をしてくれたのは初代会主の娘雪子です。
入門してからは、稽古に行くのが楽しかったのと、休みの日には私と1歳違いの従弟を呼び出して、暗くなってから近くの小学校の校庭に行き、従弟に竹刀を持たせて「どこからでもいいから打ってこい。」と言って稽古相手をしてもらいました。この時は竹刀で打たれて、頭がたん瘤だらけでしたが、心配する従弟に、これもまた稽古だからと言って痛みをこらえていた事を思い出します。この頃は江戸川沿いの土手を従弟を背負い昇り降りしたり、走ったりもしておりました。今では楽しい稽古の思い出の一つです。私は12歳の時、ギランバレー症候群に罹り足に後遺症が残りました。その後遺症とは52年以上戦い続けております。というより一緒に共存稽古しております。
如何でしょうか、このような会主ですが、このような師範ですが、共に武産合氣道を稽古して楽しんでみませんか。武産合氣道は対するものと決して争うのではなく共存和合を導くための道案内だからです。また、武産合氣道は五体満足でなければ出来ないというものではありません。手足が多少不自由でもできるのです。子供だから年寄りだから出来ないという事もありません。
やる気があれば、氣が産れます。共に氣が合い、共に元氣になりませんか。

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